アンビリバボー 韓国で生き別れた姉妹がアメリカ・フロリダの病院で40年経って再会した奇跡【動画/画像】
職場の同僚は生き別れの姉妹だった?40年前韓国で生き別れた姉妹がアメリカ・フロリダの病院で奇跡の再会!しかも2人は同じ4階のフロアで勤務していた!
奇跡体験!アンビリバボー(2016年3月17日放送)では、「生き別れた姉妹に待っていた不思議な運命」と題し韓国・釜山の孤児院でそれぞれ違う家の養子にだされ、就職先で再会する奇跡を紹介します。
生き別れた韓国人異母姉妹
今回の主役の韓国女性シン・ボクナム(ポクナム)[Shin Pok-nam] は幼いころ母親を早くに亡くし、父親はその後再婚。
シン・ボクナム(ポクナム)の妹に当たる異母姉妹の妹・シン・ウンスク[Shin Eun-Sook] が誕生します。
しかし、そのの父親は、アルコール依存症で継母は愛想を尽かしボクナム(ポクナム)の妹のシン・ウンスクを連れ家出してしまいました。
最悪な事に、シン・ボクナム(ポクナム)の父親は酔ってスピード違反電車に巻き込まれ亡くなってしまいました。
シン・ボクナム(ポクナム)は釜山の孤児院に預けられる事になりました。
偶然にも妹のシン・ウンスクも同じ個人に預けられていました。
やがて二人は、アメリカ人家族に養子縁組に出されます。
妹:シン・ウンスクは、ミーガン・ヒューズ(Meagan Hughes)と名付けられ、
1976年(5歳)の時、ニューヨーク州キングストンに養子縁組され、
姉:シン・ボクナム(ポクナム)は、ホリー・ホイル・オブライエン(Holly Hoyle O’Brien)と名付けられ
1978年に(9歳)の時、バージニア州アレクサンドリアに養子縁組されました。
姉:ホリー・ホイル・オブライエンは、妹がいると養母に告白し、養母はホリーを引き取った韓国の孤児院に問い合わせしましたが、
妹が在籍していた事すら記録に残っておらず、時間は経ち10数年が過ぎ、二人は成長し、偶然なのか?二人共医療の道に進みました。
しかし、その偶然が奇跡を引き起こします。
偶然か必然か?二人は同じ病院に引き寄せられる
二人は、バージニア、ニューヨークと300マイル(482キロ)離れて住んでいましたが、
妹のミーガン・ヒューズ(ウンスク)さんはフロリダ州ベニスに養父が病気の静養の為移住し、2002年看護女子の職に付きます。
姉の、ホリー・オブライエンシン(ボクナム、ポクナム)は結婚後、
夫とフロリダ州サラソータへ移住し、2005年看護助手としてBayfront Health Port Charlotte(ベイフロント・ヘルス・ポート・シャーロット)病院で
勤務が決まります。
程なくして、妹も知人の紹介で、2015年「Bayfront Health Port Charlotte(ベイフロント・ヘルス・ポート・シャーロット)病院」に転職します。
結果的に二人共、フロリダ州サラソタ「ベイフロント・ヘルス・ポート・シャーロット病院」で働く事になります。
しかも、配属先は同じ4階のフロアーでした。
再会のキッカケは患者の証言
ある日、姉のホリー・ホイル・オブライエンさんの患者は
「ミーガン・ヒューズという名の韓国出身の看護婦がいてあなたと同じ街の出身だそうだ。会ってみてはどうか?」
と話しかけてきました。
その事がキッカケで、二人は再会を果たしますが、未だ、姉妹という事は認識していませんでした。
同じ韓国出身で、職場がアジア系のアメリカ人も多くない地域である事もあり、二人は意気投合し仲良くなりました。
二人は姉妹ではないか?
病院の患者から二人はとても似ていると話題になっていました。
しかし、二人は、ネイティブなアメリカ人からすれば、アジア人の顔なんて日本人も、韓国人も中国人も同じ顔に見えるんだろうと思っていました。
韓国での名前(苗字)が同じ「シン」!
確かに二人は、目以外は良く似ています。
しかし、異母姉妹なら瓜二つと言うほどでは有りませんが例え、顔が全く違っていても姉妹だと証明するものが2つ有ります。
それは「名前」とDNAです。
偶然にしては境遇、アメリカに養子縁組された時期、孤児院が釜山と共通点が有り過ぎます。
お互いを知れば知るほど共通点が出てきます。
妹は、幼かった為、韓国の頃の記憶は、あまり有りませんが、姉は渡米してから妹を探した程です。
念の為にビザに記載されている韓国での氏名を確認すると二人共、韓国での苗字は「シン」!
そして、ビザに記載されている韓国での住所も同じ!
もしやという想いが湧いてきて二人はカナダの検査機関でDNA検査に望みます。
まとめ DNA検査の結果
DNA検査は・・・同じDNA結果が検出されました。
幼いころの韓国での記憶が殆ど無い妹のヒューズさんは、その知らせを受け、
「私は物凄い衝撃を受け、私は麻痺してしまいました。私には、姉がいたのです!」
と感動を隠しきれませんでした。
現在、姉は夫と離婚しており、一人暮らしでしたが
一時は、妹の存在を諦めかけた妹を取り戻し、妹の2人の子供の叔母として
週末に一緒に楽しく過ごしています。
二人のを引き寄せたのは「人のために働きたい」という感情がお互いを医療の道に進ませた事でした。
孤児院から養子縁組に出された先で、幸せに育ててもらえたという同じ感謝の気持ちをもつ境遇が、誰かの為に働きたいというモチベーションにつながったのでしょう。
本日は、当ブログをご覧頂き有難うございました。
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