オマーン タイムール国王と日本人女性・大山清子の恋愛物語・ブサイナ王妃画像 アンビリバボー 2月4日

2016年2月11日


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ペルシャ湾岸ホルムズ海峡に接するオマーン国の最大の貿易国は日本で
まだオマーン国がイギリスの保護国だった約80年前、お忍びで神戸を訪れた
タイムール国王が、ダンスホールで踊っていた19歳の少女大山清子さんに一目惚れしてしまいます・・・。

奇跡体験!アンビリバボー(2016年2月4日放送)では、「アラブ国王と恋物語日本人女性(秘)話・国境を越えた愛の物語・80年前のシンデレラ」
が放送されます。

オマーン国王と税関職員 大山清子の出会い

大山清子さんは、神戸の税関に務めるOLで、ある日、ダンスパーティで
神戸のダンスホールを訪れれ、偶然、その場に、お忍びで日本の観光で神戸を訪れていた
オマーン国タイムール国王も、このダンスホールに現れ、
大山清子さんに一目惚れします。

タイムール国王は熱烈に大山清子さんにアプローチしますが、失敗します。

しかし、懲りずに日本滞在中に何度もアプローチし、やがて大山清子さんも惹かれていきます。

タイムール国王を大山清子さんの母親に紹介

結婚を意識し、大山清子さんは、タイムール国王に母親に紹介します。

しかし、いくら居留地が有り、外国の大使館も有り、外国人が多い神戸でも当時の
国際結婚は難しく、しかも中東の人は珍しく、母親からはタイムール国王が日本に永住するなら
という条件付を突きつけられます。

タイムール国王オマーン国へ突然の帰国

タイムール国王は、「日本永住の準備で身辺整理をしてくる」と言い残し、タイムール国王はオマーン国に帰国します。

この時、タイムール国王は自分がオマーン国の国王という事は話していませんでした。

大山清子さんもビジネスマンくらいにしか思っていませんでした。

半年の沈黙の後のプロポーズ

タイムール国王が帰国してしまい、中々連絡も取れずに半年が経ちました。

不安にかられる大山清子さん・・・

二人の仲はどうなるのか・・・?

遂に、大山清子さんの心配を他所に再びタイムール氏が来日し
大山清子さんにプロポーズし、母親も認め、

1936年5月5日、遂に二人は挙式をあげます。

長女節子が誕生!その祝福に現れたのは・・・?

そして、翌年長女節子が誕生し、

驚くべきVIPが祝福に現れました。

オマーン国サイード国王が二人の前に現れたのでした。

そう、実は、結婚の半年前タイムール氏がオマーン国に帰国したのは
国王の座を息子サイードに引き渡すための帰国だったのです!

その上オマーンは一夫多妻制で3人の妻がおり、
日本で結婚する事を告げる必要もあったのでした。

この時点で、やっと大山清子さんと母親は、オマーン国の国王で
国王の座を捨てた事を知ったのです。

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歴史に翻弄される二人・・・

結婚生活も3年経った1939年11月、所要によりオマーン国にタイムール氏が帰国します。

その時、悲劇は二人に突然降りかかりました。

当時は難病であった急性腎盂炎(腎盂炎)で大山清子さんは、亡くなります。

失意のタイムール氏は、1940年9月娘をオマーン国の王妃とし、ブサイナ妃と名付け
「王族の財産をブサイナ妃に譲るため」オマーン国に一時帰国します。

まだ幼いブサイナ妃は、見送る大山清子さん三人の妹に

「トランクに赤ちゃんのラクダを入れて帰ってくるからね」

と言ってオマーン国に向かいます。

引き裂かれた日本とオマーン国の関係

しかし、歴史の悪戯は続きます。

1941年12月、太平洋戦争が勃発。

イギリスの保護国であったオマーン国にとって、日本は敵国となってしまいました。

日本への帰国も許されず、戦争が終わってもオマーン国内も不安定になり
大山家とタイムール氏、ブサイナ王女は、音信不通となりました。

遙かなる日本で母親の墓前で泣き崩れるブサイナ王女の姿が・・・

時は経ち、1971年 イギリス保護領より独立し、オマーン国は独立国となり、

1978年、ブサイナ王女は再び日本の土を踏み、母、清子さんが眠る兵庫県加古郡稲美町の墓を訪れ
故人となった母親と再会を果たすのでした。

まとめ その後のオマーン王族と日本との関係

1978年に墓前にお参りした後、ブサイナ妃と大山さんの家族とも連絡が無くなったのでしたが、
オマーン王族との日本関係は絶たれていた訳では、有りませんでした・・・。

2011年3月11日東日本大震災にオマーンからの義援金が

2011年3月11日、東北地方を東日本大震災が襲います。

壊滅的な被害を受けた東北地方への義援金が各国から集まり
オマーンは義援金の支払額が世界4位の額約8億円を寄付してくれたのです。

オマーン王族系企業からの東北支援

震災前2010年オマーン王族系の企業がアフリカ(アラブ)の耕作不適格地の土壌改良をする為に必要な移動式浄水器を
南相馬の「落合工機」に発注していました。

しかし、その後、2011年3月の東日本大震災で「落合工機」とその家族も被災。

倒産の危機を迎えますが、再びオマーン王族系の企業が入ります。

しかも26億円分のオーダーで内容は被災前の発注を上回る
700台の浄水器と14台の大型浄水器の大量発注でした。
(前回は小型浄水器24台)

この発注のおかけで、「落合工機」のみならず「落合工機」の協力会社(約20社)にも
部品調達のオーダーが回ることになり、活気づく事になります。

しかも、完成した浄水器は水に困っている被災地で使って、被災地が復興してから送ってくれれば良い
という心憎いオーダーだったのです!

お金をポーンと払って後は自分で使って下さい、という義援金でなく、
相馬市の復興に一役買う形で、自分の力で復興して下さいと言う応援の仕方なのですね!

オマーンと日本は、今でも繋がっているというエピソードでした。

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※画像出典:釣り 日常 システム 釣り馬鹿ボンのブログ
blogs.yahoo.co.jp/crazy_head_man