アンビリバボー ジム・ニコルソンは息子ネイサンと親子でCIAとロシアKGBの二重スパイ!原作/スパイの血脈!6月1日
奇跡体験!アンビリバボー(2017年6月1日放送)は、CIA高官ジム・ニコルソンがロシア旧KGBとの二重スパイとしてロシアに30万ドルで情報を売り渡した容疑で23年の刑で投獄され獄中から自分の息子を洗脳し、ロシアからスパイ活動の報酬を年金として受け取る為の運び屋として利用していたというアンビリバボーな実録です。
このスパイ映画の様な売国行為の話は2015年ロバート・デ・ニーロ主演で「The Spy’s Son(スパイの息子)」のタイトルで映画化の話が具体的にあがっていた程です。
今回のアンビリバボーの再現ドラマの原作「スパイの血脈」(早川書房)の著者:ブライアン・デンソン氏がインタビューで登場予定です。
元CIA高官・ハロルド・ジム・ニコルソン二重スパイ事件のあらすじ
ハロルド・ジェームズ・ニコルソン(ニックネーム、ジム・ニコルソン)は、アメリカ陸軍の情報部士官(大尉)を除隊後、1980年、CIA(中央情報局)に入局しました。
ジム・ニコルソンは、マルコス政権下のフィリピン・マニラでアキノ氏暗殺に抗議するデモ隊の反米分子の情報のあぶり出しで評価され「バットマン」とニックネームが与えられました。
その後も仕事ぶりが評価され、旧ソビエト連邦関連の諜報活動の運営責任者に抜擢されると、1987〜1989年の日本の東京を含み、タイなどアジア諸国の支局を転々とし、ルーマニアに勤務した後、1994年、マレーシアの首都クアラルンプール駐在時にロシア対外情報庁(SVRR・旧KGB/КГБ)情報部員・ユーリー(Юрий)とコネクションを持つ様になりました。
家庭では不協和音が・・・
CIAでの仕事ぶりは上層部の満足のいく働きでしたが、家は不在がちで、妻との不協和音が響き、妻と3人の子供たちを残し別居、ジム・ニコルソンは、愛人を作り、妻ローラも飼い犬の往診にやってくる若い獣医と不倫に走り離婚調停が進まず最悪な環境でした。
ロシアSVR(対外情報局)幹部ユーリー・P・ヴラソフとの接触
家庭が上手く行かないジム・ニコルソンは、クアラルンプールで、ロシア人諜報員、ロシア SVR(SVRR)(ロシア対外情報庁)幹部ユーリー・P・ヴラソフとコントをとり、ある取り引きを行いました。
その後もジム・ニコルソンは、海外赴任とともにロシア諜報部員とある取り引きを続けます。
モグラを確保せよ!スパイ対スパイの攻防戦
同じ頃、CIA本部では、ベテランのテロ対策担当者ジョン・マグワイア(John Maguire)に「CIA内のモグラ=二重スパイを確保せよ」との命令が下されました。
ジム・ニコルソンが、海外出張する度に多額の金額が彼の口座に振り込まれており、彼に二重スパイの疑いが浮上して内偵が続きていたのです!
これが、スパイ対スパイの攻防戦の始まりでした。
CIAの秘密訓練所「ファーム」
ジム・ニコルソンの担当は、バージニア州ウィリアムスバーグにあるCIAの秘密訓練所「ファーム(The Farm)」に移動しました。
ジョン・マグワイアはジム・ニコルソンの部下として配属されました。
ジム・ニコルソンは、ロシアに提供する資料の収集をはじめました。
ジム・ニコルソンのデスクには小さな監視カメラがしかけられ、自宅には盗聴器が仕掛けられてている事は知る由もありませんでした!
エビデンス(証拠は揃った)
ジョン・マグワイアは訴追に必要な証拠を揃えました。
メールの履歴からロシア人エージェントと合う為の合言葉・・・
などです。
1996年11月16日ダレス空港
ジム・ニコルソンが海外出張の帰路、同僚と別行動をとりスイスで休暇をとるスケジュールが把握されており、メールのやり取りでロシア人エージェントと合流する計画が判明し、ジム・ニコルソンが海外に出張する日1996年11月16日に、ダレス空港で待ち受けたFBIにより身柄を拘束されました。
押収されたノートパソコンやFDから
◆ CIAの秘密訓練所「ファーム」訓練生名簿
◆ チェチェンでのCIA秘密活動に関する情報
(実はCIAが流した嘘の情報)
などがロシア対外情報庁(SVRもしくはSVRR・旧KGB/КГБ)に漏洩した事が立証されました。
23年7か月の実刑判決
ジム・ニコルソンが、二重スパイ事件に走った理由
ジム・ニコルソンには3人の子供たちが居ました。
その代金として国家機密情報をロシアに売っていたのでした・・・。
子供たちを自分の元に取り戻したいという気持ちが曲がった行動に走らせていたのでした・・・。
これでCIA高官エージェントによる二重スパイ事件は収束したと思われていました。
ジム・ニコルソンの息子ネイサン
ジム・ニコルソンの末っ子、ネイサンは、刑務所での隔週土曜日の面会で聞かされる父親の職業の経歴に憧れ、2004年アメリカ陸軍に入隊し陸軍第82空挺部隊に配属されましたが、パラシュート降下訓練でパラシュートが開かず、背骨を折る大怪我を負い除隊しました。
絶望を味わい手首を切って自分の命を絶とうとし、ナイフを持った時、父親から電話がかかりました。
「今でもネイサンの事を愛しいてると伝えたかった」という他愛のない話でしたが、その気持が嬉しく、2006年春ネイサンは父親との面会に出向きました。
軍隊を除隊したネイサンは、建築技師を目指しており、通っている大学の学費を稼ぐ為、ピザ・ハットのピザの配達員として働いていました。
ネイサンは、ピザの配達名目で、父親が収監されている刑務所に出向きました。
2006年10月に、サンフランシスコのロシア領事館の関係者ミハイル(ミーシャ)と面会しました。
そして、ミハイルからは、ジム・ニコルソンに今まで借りていたお金を返済するとの名目で約1万ドルを受け取りました。
2006年12月から2008年12月14日まだの間にメキシコ、ペルー、キプロスなど3カ国を訪れ、総額3万7000ドル、アメリカ国内で受け取った1万ドルを含め、4万7000ドルを父親の年金としてロシアから情報提供料を受け取りました。
①2006年12月17日 メキシコ(ニューメキシコにて、)金額約1万ドル(約111万万円)
②2007年7月12日 メキシコ(ニューメキシコ)にて、金額約9,080ドル(約101万円)
③2007年12月13日 ペルー(リマ)にて、金額7,013ドル(約78万円)
④2008年12月14日 キプロスにて、金額9,500ドル(約105万円)
※日本円の換算は、2017年5月31日レートの1ドル=110.94円で計算しています。
しかし、ニコルソン親子の行動は監視されており、ネイサンの自宅には盗聴器が仕掛けられており、メールも監視されており、2008年12月15日にキプロスから帰国した際に家宅捜索され、キプロスから持ち帰ったお金9,500ドルは、差し押さえられ没収されました。
一方ネイサンは、2010年12月7日、司法取引により2006年から2008年の間における父とロシア連邦にかかわる行為について政府に代り証言することに同意し、5年間の保護観察を受け、退役軍人庁に100時間の奉仕のボランティア活動が命じられました。
なお、ジム・ニコルソンは、2024年に解放される予定です。
書籍・原作:スパイの血脈
今回の奇跡体験!アンビリバボーは再現ドラマの原作となったニコルソン父子二重スパイ事件を綴った書籍「スパイの血脈」(早川書房)の著者:ブライアン・デンソン氏や捜査関係者へのインタビューが放送される予定です。
もっとニコルソン父子2重スパイ事件の内容の詳細(特にこのブログで紹介しきれなかった証拠や犯行内容など)や結末を詳しく知りたい方は「スパイの血脈」をご覧下さい。
まとめ
参考記事:ネイサンが受け取った金額は、ニュースサイト「ワイヤード」で発表されたオレゴン地区裁判所発表の報告書を参考にしています。
◆オレゴン地区裁判所発表の報告書(pdf)
映画の話は具体的に進んでいない状態の様ですが、実現したら主役が大物俳優ロバート・デ・ニーロだけに面白くなりそうです!
本日は最後までご覧いただきありがとうございました。
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