アンビリバボー 余命3ヶ月でヒマラヤ・カラパタール山を奇跡の登山・畠山陽一、烈子夫妻 8月11日


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アンビリバボー2016年8月11日は初めて制定された祝日で「山の日」に因み2つの登山の奇跡が紹介されます。

一つ目の奇跡は、余命3か月末期がんの秋田県のキノコ博士・畠山陽一さんが妻・烈子さんと夫婦でヒマラヤ・カラパタール山の登頂を目指す奇跡の登山のストーリー。(2001年11月08日「余命3ヶ月奇跡の登山・畠山陽一」のアンビリバボーでも紹介)

そして、もう一つは2009年ガイド1人を含む8人が低体温症で北海道大雪山系トムラウシ山遭難事故のエピソードです。

「アンビリバボー・トムラウシ山遭難事故」は、コチラからどうぞ!

この投稿では「余命3ヶ月奇跡の登山・畠山陽一」を紹介します。

秋田県のキノコ博士・畠山陽一先生

著書「秋田のきのこ」「秋田のきのこと山菜 (1977年)」などを出版する秋田県のキノコ博士・畠山陽一先生は元中学教諭で、小学校教諭だった父の影響で小さい頃から地元の山などでは標本を集め、旧制大館中3年生の時に発見した新種の野草が東京大教授の本田正次博士に「オオバイワウチワ」と命名され在学時には1万点を超える標本が出来ました。

そして、畠山陽一先生が発見した新種の植物は約130種類以上にものぼります。

秋田大を卒業後、県内中学校の理科教諭として1944年の定年退職まで38年間勤務し県内外の山で時には教え子と共に調査を続けました。

「キノコ博士」と呼ばれる所以はその毒きのこ調査方法です。

なんと、きのこを試食し、毒の有無を判断するのです!

調査の為の海外渡航は100回以上、訪れた国はパキスタン、ロシア他48カ国を超え、ネパールの氷河で新種のキノコが発見されたときは現地まで行って確かめた程です。

そんな畠山陽一先生ですが退職後は、妻の烈子さんと二人三脚で調査を続けていました。

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64歳で余命3ヶ月の癌宣告

畠山陽一さんは、ネパールの氷河からの帰り道、体調不良を訴え病院で検査した所、悪性リンパ腫、胃、脾臓、膵臓にステージ4、つまり末期ガンで余命3ヶ月~4ヶ月の癌宣告を受け入院します。

科学治療の為入院している妻の烈子さんが看病の為、自宅から1時間かけ、自転車で病院へと通う姿を見て妻の為何かしてやれないか?を自問する際、大学時代に同じ山岳部で知り合った烈子婦人とヒマラヤを一緒に登頂をするという約束が蘇りました。

烈子婦人との約束の為、胃などの全摘手術の後に自主退院し通院治療に変更します・・・当然主治医は大反対でした。

カラタパール山の登頂(標高5000m超)を目標にしリハビリと登山の練習を重ね2000年4月67歳で悪性リンパ腫を煩わせたままで、サポーターと一緒にヒマラヤ登山の奇跡を果たしたのです!

これはヒマラヤ登山の最高齢記録となりました。

驚いたことにヒマラヤ登山後がんの進行が止まるという奇跡も起こったのです!

8月11日放送される「アンビリバボー・トムラウシ山遭難事故」は、コチラからどうぞ!

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8月11日放送される「アンビリバボー・トムラウシ山遭難事故」は、コチラからどうぞ!

まとめ 新種の雪蓮花に・・・

畠山陽一先生がネパールで新種の世界最大の雪蓮花を発見し、その名は畠山陽一先生に因み「サウスレア・インゲンス・ハタケヤマ」と名づけられた。

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その後、脳梗塞を煩わしますが、烈子さんと登山を続け、地元秋田県では、山で撮影した植物の写真展を開催する等精力的に活動しています。

奥さんの烈子さんは、ネパールのバガム村に学校と水道を寄付する程ネパールに貢献しています。

そして、烈子さんも64歳で自動車の運転免許を取得し、畠山陽一先生と二人で車で移動しています。

畠山陽一先生は、登山中に雪崩に遭遇したり、滝つぼに転落したり、「全身の骨は首以外すべて一度は折った」など何度も人生の危機に遭遇しています。

そんな生命力が「がんの克服」に繋がったのでしょうか?

8月11日放送される「アンビリバボー・トムラウシ山遭難事故」は、コチラからどうぞ!

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