アンビリバボー 全日空857便ハイジャック事件 加藤登紀子と告井延隆が携帯で奇跡を!特殊部隊 SAP(SAT)とは?6月30日 動画 ANA JA8146
1995年6月、乗員乗客364人が乗ったANA・全日空857便が、サリンを手にした犯人にハイジャックされる事件が起き、その全日空857便には歌手の加藤登紀子さんとツアーメンバーが搭乗しており、ギターリストの 告井 延隆(つげい のぶたか)氏の勇気ある行動が活路を見出しました。
その裏には現在では当たり前の携帯電話の存在が有りました。
そして、その救出劇には存在は否定されていたSAP(SAT)と呼ばれる特別警官部隊が!?
アンビリバボー(2016年6月30日)では、 【実録国内便ハイジャック!乗員乗客364人を救え航空パニックSP】と題し、函館全日空機ハイジャック事件と呼ばれる犯人と16時間に及ぶ攻防全記録の奇跡が紹介されます。
全日空857便ハイジャック事件とは?
1995年6月21日、羽田発函館行きの全日空857便・ボーイング747SR(JA8146)が一人の男によりハイジャックされます。
事の発端は、宗教団体のオウム真理教が1995年3月20日に起こした同時多発テロ事件「地下鉄サリン事件」で神経ガスのサリンを使用した事でした。
このサリンは約1リットルのビニール袋詰めになっており、吸引した8人が犠牲者となり、2475人が重症を負いました。
全日空857便が山形県上空に差し掛かりCAが飲み物を準備中「コバヤシサブロウ(偽名と思われる)」と名乗る男が席を立ち上がり、手荷物のバックの中の液体の入ったビニール袋にナイフを突きつけ、「これが何かわかるな?」とサリンである事を示唆しました。
CAに機内電話で機長に函館についたら給油して羽田に引き返す様、要求し、更に自分がオウム真理教信者と名乗り、地下鉄サリン事件で逮捕された麻原彰晃死刑囚の解放を要求しました。
画像出典:1995年6月21日付・西日本新聞夕刊1面
ハイジャックされた事を機長は無線で管制塔経由で警察に知らせ、客室にもハイジャックされた事をアナウンスします。
ハイジャック犯の要求は、CAを通じて機長に要求が伝えられ、警察へは無線を通じて知らされるというケースで、犯人との直接交渉が出来ず、警察は犯人が何人か分からず、救出計画に立案に悩んでいました。
そして、CAに窓を塞がせ、CAに客の目と口をガムテープで防がせました。
今回ハイジャックされたBoeing747の構造は2階建てになっています。
幼い子は目を塞ぐ事を免れ、親子で2階客室へ移動し、75%の乗機率の客は、1階後方に集め移されました。
そして全日空857便は、函館に緊急着陸しました。
客の中には不審な動きをするものが現れ犯人は、プラスチック爆弾をセットすると脅迫しました。
(実際は客はトイレにたっただけでした)
そして、一人の男性が心臓発作に苦しみ出します。
アナウンスで2人の看護師が駆けつけ、恐怖心による「過呼吸症候群」と診断されました。
極限状況でストレスがピークになったのです。
警察本部は、犯人と交渉を求めますが直接交渉は拒まれました。
犯人は、単独犯である事を隠す為、上着を変え別人を装い1時間ごとに見回りを始めました。
一方、警察本部の伊達本部長は、犯人像がわからないので対応に苦慮していまたが、その間、羽田から警察の特殊部隊(特殊急襲部隊)が函館に到着しました。
警察の特殊部隊(特殊急襲部隊)SAP,SATとは?
ハイジャックや重大テロ事件に対し、被害者等の安全を確保しつつ事態を鎮圧し、実行犯者の検挙を目的とした部隊で、通称SAP(Special Armed Police・サップ)と当時は呼ばれており現在はSAT(Special assault team・サット)と呼ばれています。
(現在SATは8都道府県に置かれています)
存在は噂にはなっていたもののベールに包まれていたSAP、後のSATが初めて白日の下にされされたのです。
動画:SATが出動、閃光弾を投げて突入・・・東京駅でテロ訓練(16/03/28)
ある男の行動
客室では、ある男性が新聞を通路を隔てた隣の席の女性に渡し、数分後その新聞を女性は戻しました。
そして、新聞を受け取った男性は、ハイジャック犯の隙を狙ってトイレに入りました。
トイレについてその男性が取り出したのは、今では小学生でも持っている携帯電話でした。
ハイジャック事件の前年の1994年に携帯電話はレンタルから販売出来るシステムに移り、未だ高価でしたが、ビジネスマンが個人所有出来るようになっていました。
その男性から警察にもたらされた情報は、犯人は単独犯で、同じスニーカーを履いており、上着を変えて数人の犯人に見せかけているという貴重な情報が齎されました。
この男性、実は歌手の加藤登紀子さんのバックバンドのギタリスト告井 延隆(つげい のぶたか)氏で、携帯電話は加藤登紀子さんの女性マネージャーの物でした。
告井 延隆氏は目に貼ったガムテームは緩く貼っており、隙間から見える様にしていたのです。
※加藤登紀子さん自身も同乗しており、息が出来なくなって死んだらどうするの?とCAにガムテープを貼る事を拒否しましたが、渋々ガムテープを目に貼ったそうです。
オウム真理教からの情報
オウム真理教からもハイジャック実行犯が単独犯だという裏付け情報が入りました。
当時のスポークスマン的立場の上祐史浩氏によれば
「オウム真理教は単独で行動せず、誰かとチームで動く」
との情報と、「”コバヤシサブロウ”なる人物はオウム真理教の信者におらず、いても破門する」との事で、オウム真理教ともなんら関係ない人物という人物像が分かってきました。
機内の状況
時間が経つとハイジャック実行犯は疲れが出てきたのとは逆に客室からは慣れが出てきました。
幼い子どもは目にテープを貼ることを免れており、ビデオ撮影した、他の客もこっそり状況を写真に写したり、中には雷おこしを周りに配って食べるものも出てきました。
そして、客も緩んだガムテープの隙間からハイジャック実行犯の姿を確認しており、スニーカーは同じで上着だけ変えていて同じ人物と悟りました。
そして、大胆にも携帯電話で警察に連絡する客が数名出てきており、警察は単独犯である事を確認しました。
突入
伊達部長は、明るくなる前にSATを突入させないと明るくなってからでは侵入口が分かってしまうと考えました。
この頃、ハイジャック実行犯の疲れもピークに達しており苛立ち、トイレに行こうとした女性をアイスピックで刺し軽傷を負わせました。
21時5分 警察は直接交渉を望みますが拒まれました。
今度は一人のCAを除き、全てのCAの手をガムテープで縛り、これからひとりずつリンチしていくと告げました。
0時30分 事件から11時間経過し、伊達部長は、強行突入下令しました。
作戦は、死角の3ヶ所の扉からハシゴを使い強行突入が決まり、マスコミには、行動がテレビを通じて犯人にばれない様コクピット以外写さないよう要求しました。
3時30分 SATが全日空857便の下に到着します。
周りの照明が切られ、ハイジャック実行犯は、警察の突入を直感し、「やばい、ひとりだと言うことがバレたか?」と呟きました。
場当たり的に、一人目リンチにしたと通報しましたが、伊達部長は、嘘と断定しました。
3時42分 SATがハシゴを登り、3つのドアから突入!
3時45分 犯人確保、この時勇敢にも一人伝達役に残されたCAがハイジャック実行犯からビニール袋が入ったバッグを奪い取ります。
機内では拍手が沸き起こり、15時間半、約16時間のハイジャック事件は幕を閉じました。
当時の事件を伝えるニュース動画
そしてサリンと思われた液体は・・・ただの水だったのでした・・・。
まとめ 1995年は携帯電話復旧の黄金期
1994年から携帯電話の買い取り制が始まり、0円携帯も表れ、一般消費者にも携帯電話が復旧しだしました。
1995年の阪神大震災では、電話回線が通じなくなる一方、携帯電話は繋がるという状況も生み出しました。
(現在は、逆に回線数が多すぎて災害時には規制されてしまいますが)
ハイジャックが起きたこの年の復旧率は、9.6%との事でした。
本日は、当ブログをご覧頂き有難うございました。
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