アンビリバボー FBI ジョン・レインズ、ボニー夫妻が盗んだ国家機密情報書類 1971年 コインテルプロとは?6月16日 動画
アンビリバボー(2016年6月16日)は、ベトナム戦争の反戦活動のFBIによる弾圧、市民の電話の盗聴、郵便物の開封による諜報活動の全てを暴露し、結果的にベトナム戦争終結を早めた「FBIを調査する市民委員会」という窃盗団が自由の国を守るため国家権力に闘いを挑んだ奇跡の話です。
アメリカは「自由を勝ち取るための闘い」として1964年ベトナム戦争に介入しましたが、戦況は悪化し泥沼化、全米で反戦デモが起こりデモ鎮圧にFBI(連邦捜査局)が関与し盗聴活動や反戦デモに参加する市民の監視、逮捕など弾圧が始まります。
事態を憂いた大学教授(宗教学)ジョン・レインズ、ボニー・レインズ夫妻(デイケアーセンター介護士)、ビル・ダビドン、ボブ・ウィリアムソン、キース・フォーサイスの5人を中心とする8人の反戦活動家は、ペンシルバニア州メディアのFBI事務所に潜入し国家機密情報の記載された書類を盗み出しワシントン・ポスト誌などマスコミに暴露します。
その文書にはコインテルプロ(COINTELPROコインテルプロ)と書かれた謎の文字が・・・。
ベトナム戦争と伝説のボクサー モハメド・アリ
2016年6月3日、世界中に惜しまれつつ、敗血症ショックにより、この世を去ったモハメド・アリ(74歳没)選手。
少なからず、モハメド・アリの人生は今回アンビリバボーで紹介される事件に関連があります。
モハメド・アリ選手はベトナム戦争の最中、徴兵を拒否。
その結果、1967年、徴兵を回避した罪で連邦最高裁より有罪判決を受けだけでなく、州のボクシング・ライセンスを剥奪されました。
しかし、戦況は悪化して行くばかりで泥沼化、そして、懲役拒否についてアリは
「ベトコンは俺を差別しないし、俺はベトコンに何も恨みがないからベトコンと戦う理由は無い」
「金持ちの息子は大学に行き、貧乏人の息子は戦争に行く。そんなシステムを政府が作っている」
とリング外で発言する事により戦いを続けた名言を残すと、当時アメリカ国内はの世論は、人種差別撤回の黒人公民権運動の最中でアリの支持者は増えていき、裁判でも有罪判決は破棄され、ボクシングライセンスも取り戻し、王座剥奪の為、1971年3月8日、ジョー・フレージャーに挑戦します。
動画:モハメド・アリ VS ジョー・フレイジャー(1971年)
その試合に全米が釘付けになっている最中、ベトナム戦争の行方を左右する国家機密文書の盗難事件が発生します。
しかも、その盗難にあった相手はFBI!
盗難の実行犯は「FBIを調査する市民委員会」と名乗るグループでした。
この盗難事件の時代背景にはベトナム反戦運動が激化しており、FBIは、国家転覆を目論む共産主義者が扇動していると断定し、機密の計画を立て市民に対する電話盗聴や諜報活動が行われていました。
しかし、当然FBIは否定し、FBIの諜報活動の暗躍を阻止するには機密の計画が存在する証拠が必要でした。
実行犯 FBIを調査する市民委員会
FBI事務所から機密文書の盗難事件を盗難した実行犯は8人で、主要メンバーは以下の5人
ビル・ダビドン 大学教授で、計画の主犯、熱心な活動家であったが、反戦デモが目的から逸脱し、暴力的になって行くことを危惧しており非暴力の反戦活動を望んでいた。
キース・フォーサイス 1970年5月14日、ミシシッピ州のジャクソン州立大学で、警察と黒人学生の衝突し、州警察が寄宿舎に向けて28秒間もの間、発砲し学生二人が犠牲となった事件が偽って発表された事実に憤慨していました。
ベトナム戦争介入の歴史を精査すると政府の発表は欺瞞に満ちていることに気づいてしまったのです。
ボブ・ウィリアムソン ビル・ダビドンと同様、非暴力の反戦活動を望んでいた。
ジョン・レインズ、ボニー・レインズ夫妻 ジョン・レインズ氏は、犯行に使用した車の運転手、ボニー・レインズ婦人は見張りを担当。
周到な計画
計画は、隣の州で徴兵制に反対する反戦活動家が8人がFBI事務所に忍び込んみ徴兵記録の書類を盗んで逮捕されるという事件を基にビルが中心となり企てました。
警備の手薄な小規模なFBI事務所が割り出され、キースがFBI事務所の入口の鍵のタイプを下見し、通信講座で錠前の開け方を習得。
ボニー・レインズは地元スワースモアの大学生として事務員の求人に応募するフリをし、事務所を観察。
ファイルが収納されているキャビネットの位置を確認し、メモをする際は手袋をして指紋を残さない様にするという周到さです。
驚くことに、警報システムは無い上、警備員も配置されておらず、他にも出入りできる第2の通用口があるのも確認されました。
そして決行の日取りは、1971年3月8日に決定!
そう、モハメド・アリとフレイジャーのタイトルマッチで全米がテレビに釘付けになり警備も散漫になると踏んだのです。
実行
FBIオフィスで解錠を担当したキースが入り口のキーを解除中に心臓発作を起こし解錠に失敗しますが、ボニー・レインズは第2の通用口がある事を思いだし、オフィス潜入に成功。
実行クルーは、もしもの時の為にビジネススーツを着て職員になりすまし、キャビネットから機密文章をスーツケースに詰め込み、待ち受けたジョン・レインズ運転の車で逃亡に成功しました。
集合場所の農家では、機密書類の開梱が始まり、文章の内容を見て集まった8人は皆、狂喜します。
ワシントン・ポストなど主要マスコミや代議士にFBIの機密文章をリーク
盗み出されたFBIの機密書類は、三大新聞社に郵送され、ワシントン・ポストのベティ・メジャーなどジャーナリストにコピーが配布されました。
その情報を掴んだ司法長官ジョン・ミッチェルは、ワシントン・ポストに対し出版すれば命を危険にさらす可能性があるので出版を中止しろと脅迫しました。
検事総長も編集者を呼び出し説得を始めました。
ワシントン・ポストの1面を飾る
司法長官の脅迫に屈せず、ワシントン・ポストではFBIの機密書類リーク記事の第1段が掲載され、
逆に、社説では、FBIの捜査を要求する強い文章が掲載されました。
FBI長官ジョン・エドガー・フーバーは、事務員の応募に訪れたスワースモアの女子大学生を犯人として断定し、女性反戦活動家の中から見つけ出すよう200人のエージェントを使い血眼になって探しますが、世の中は、女性反戦活動家に溢れプロフィールからの犯人割り出しは空振りに終わりました。
暴露されたFBIの諜報活動 コインテルプロ
FBI機密書類リーク事件から2年後、NBCレポーターのカール・スターンが機密文章を入手し司法省に情報開示を求めますが、司法省は拒否します。
しかし、判事の命令を取り付けて開示した内容は衝撃的でした。
FBIが非合法に市民の諜報活動が許されたプログラム、コインテルプロ(Counter Intelligence Program カウンター・インテリジェンス・プログラム)が暴露されたのです。
コインテルプロは、1956年、共産主義勢を監視、弱体化を目的としたプログラムで対敵情報活動(スパイ活動に対するカウンターという意味)を示します。
そこには市民を違法に監視する方法や、中には、黒人差別やベトナム戦争に反対するキング牧師を脅迫する文章もありました。
FBI機密書類リーク事件の詳細
ことの全ては、ワシントン・ポストのベティ・メジャー氏が著書「泥棒たち: J.エドガー・フーバーのFBI内で隠された秘密組織を明かす(The Burglary: The Discovery of J. Edgar Hoover’s Secret FBI)」に纏めています。
まとめ ベトナム戦争の終結
ベトナム戦争の終結の決定打となったのは、ウォーターゲート事件です。
共和党の大統領が敵対する民主党本部の盗聴事件のもみ消しに関与したというスキャンダルが、ワシントン・ポスト誌の記者の暴露記事により発覚しニクソン大統領は辞任に追いやられ、繰り上げで副大統領から大統領に着任したフォード大統領はベトナム撤退を決断し1975年4月30日ベトナム戦争は終結しました。
ウォーターゲート事件は、大統領が関与した事件ですが、コインテルプロに基づき、FBIが握りつぶす所でしたが、コインテルプロの存在がバレてしまった為、FBIもマスコミの取材の妨害が表立って出来なくなりニクソン大統領は逃げ場がなくなり、辞任に追いやられ結果的にベトナム戦争終結が早まったと言えるのでは無いでしょうか?
で、あれば「FBIを捜査する市民委員会」の非暴力での反戦活動は実を結んだと言って良いでしょう。
ウォーターゲート事件については、ロバート・レッドフォード主演の「大統領の陰謀」として映画化されています。
※この事件は5年で時効を迎えた為、2014年まで、43年間未解決でした。
1971年マスコミにリークしたコピーからコピー機がゼロックスと割り出しキースとボブの2名が逮捕されましたが、立証できず無罪となりました。
しかし2014年、計画を立案したがビル・ダビドン病に倒れた為、彼の栄誉を称えるため夫妻が自分たちがFBIの機密文章を盗みだした犯人だったとマスメディアに名乗り出て、一部始終が全米に公開されました。
こちらがその動画です。
この投稿は、この動画の模様を基にしており、今回、アンビリバボーでは再度調査を行っており、内容の詳細が異なる事が予想されます。
本日は、当ブログをご覧頂き有難うございました。
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