アンビリバボー 柴崎夫妻 肖像画 中澤弘光・静聴のモデルは妻の富子さん? 二度目の出会いの奇跡 5月26日 動画 画像


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明治から昭和初期にかけて活躍した洋画家・中澤弘光の1951年に描いた女性の肖像画「静聴」が結婚58年目を迎える柴崎さん夫婦の出会いに関わった奇跡が、アンビリバボー(2016年5月26日)で紹介されます。

二人を結びつけた肖像画「静聴」の起こす奇跡とは?

中澤弘光と静聴とは?

画家の中澤弘光(1874~1964)は洋画家で有りながら、与謝野晶子の「新訳源氏物語」の挿絵や夫の与謝野鉄幹の雑誌「明星」に口絵を描いたりと幅広く活躍し晩年まで筆を止める事は有りませんでした。

「何でも鑑定団」で出品せれた行方が分からなくなっていた作品が個人宅で発見され鑑定に出された時は、「潮風」は400万円もの鑑定額が出ました。

※動画の33秒辺りで紹介されるのが「潮風」です。

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中澤弘光氏は、明治時代の文展(文部省美術展覧会)には初回から作品を出展しており、時代が昭和に変わった1951年(昭和26年)の第7回日展(日本美術展覧会)には、「静聴」を出展しました。
その「静聴」は、大学で教授に呼び出され先生の婦道についての訓示を静かに聴いている姿がモチーフで「婦道を説く教師の訓示を聞いている少女の像」と展示されている美術館では解説されています。

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※出典:都城市立美術館

「静聴」のモデルに心を奪われた学生

絵画展で展示されていた「静聴」に立ち止まる学生がいました。

その学生の名は柴崎育久さんで、絵画が好きで美術館巡りが趣味でした。

絵の美しさもありますが、実は、そのモデルの清楚さに惹かれ心を奪われたのでした。

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柴崎育久さんと妻・富子さんとの奇跡の出会い

日展の翌年1952年(昭和27年)東京の大学に通う柴崎育久さんは友人と旅行に出かけました。

その旅行先の軽井沢で同じく東京から来たという女学生と誕生日パーティで知り合い、柴崎育久さんは美しい女性・富子に好意を抱き、2ヵ月後には交際に発展し昭和33年、26歳で結婚するのでした。

柴崎育久さんが恋心を抱いた「静聴」のモデルは・・・

昭和39年(1964年)柴崎育久さんは新聞を読んでいてショックを受けました。

中澤弘光氏が天寿を全うしたニュースが記載されてたのです。

柴崎育久さんは、妻の富子さんに中澤弘光氏の絵画展を観に行った事を話し、中澤弘光氏の作品集を引っ張りだして富子さんに「亡くなれた中澤弘光氏の作品でとても心を奪われた絵があるんだ」と、中澤弘光氏のある作品を見せました。

その作品とは・・・?

富子さんは驚きました。

夫の柴崎育久さんが心を奪われた作品は、妻の富子さんが18歳の時、友人の紹介でモデルを務めた「静聴」だったのです!

富子さんは柴崎育久さんに学生の頃、中澤弘光氏の「静聴」のモデルを務めた事を告白しました。

清楚な学生が教授の話を静聴している姿のテーマの女性の美しさに心を奪われた柴崎育久さんは、その「静聴」モデルの女性と結婚していたのです。

柴崎育久さんは結婚前に名前も知らない奥さんの姿に恋心を抱き、運命に引き寄せられる様に、出会ってしまったのでした。

同じ女性に二度出会い恋していたのでした。

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まとめ 「静聴」に再会

時は流れ、2011年、柴崎さんの長男・柴崎茂光さんが絵はがきに掲載されていた「静聴」を見つけ、都城市美術館に中澤弘光「静聴」が展示されている事を突き止め、2012年1月14日、柴崎育久さん、富子さん夫婦は、都城市美術館で若かりし日の富子さんが描かれている「静聴」に約60年ぶりに再会を果たしたのでした。

「静聴」では時が戻ったがごとく出会った当時の話をする二人の姿が有りました。

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※画像出展:宮崎日日新聞

都城市美術館 中澤弘光「静聴」の展示について

2016年7月3日(日曜日)まで展示されているので 宮崎を訪れた際は立ち寄ってみては如何でしょうか?

都城市立美術館

住所:宮崎県都城市姫城町7-18
電話:0986-25-1447
開館時間:9時00分~17時00分(入館は16時30分まで)
休館日:月曜日

今回のエピソードと同じ、5月26日に紹介されるアンビリバボーな誘拐事件は以下に掲載いたしました。

妊婦アマンダ スマル・アシュリーとアリサによるSNS誘拐・拉致監禁事件

本日は、当ブログをご覧頂き有難うございました。